トパアズいろの香気が立つ

いつか、ちゃんと文字にしないといけないと思っていて、するなら今日だな、というのもなんとなく決めてはいました。なので、勢いのままに布団の中で書いています。

今日は滝口幸広さんの35歳のお誕生日、になるはずの日でした。

私は迎えられなかった日をお祝いすることはできないなあと思うのだけれど、お別れの日に懐かしむようなことをするというのも、なんだか違うような気がして。だって本当にいきなり、ドッキリじゃないかってくらい急にいなくなってしまったから、未だにお別れをした実感がないんですよ。なので、多分私にとって毎年いちばんに彼を思い出すのは5月29日になるのだと思います。

滝口さんを推すようになったのは私が高校生の頃でした。未成年だからPV撮影のエキストラ応募できなくて、仲良くしてくださっていたお姉さん達が現場からラインで実況してくれるのを見てハンカチ噛み締めたり。放課後そのまま旧青年館に行って制服で終業式参加したら、座席抽選に当たってしまって壇上に上がり表彰されることになったり。(本当の高校の卒業式なんかよりよほど衝撃的な出来事だった)高校生活の後半は、ほとんど彼や彼の周りの人たち、そして某ブラック企業の舞台を見ることに全身全霊をかけていたなと思います。

わりと一定期間で本命界隈が変わる人間なので、大学に入ってからは二次元に逆戻りしたり、野球にハマったりして次第に若俳界隈からは足が遠のいていきました。

それでも彼が推しである、という認識はずっとあって、誕生日イベや国語の先生周りのいつメンでやるイベには定期的に参加していました。年末の祭も、なんとなく一回は行っとくかという感じで(ピンとこなくて行かなかった年もあった)、私にとっては毎年恒例の季節行事みたいな「当たり前にあるもの」だったんですよね。そこに行けば、昔から仲良くしていただいている人たちにも会えるし、あの界隈特有の内輪感というか、そういうのをなんとなく感じられるみたいな。俳優という職業の人が立つ舞台作品に対して、本当に本当に失礼な楽しみ方をしているオタクでしたね。今思えば。

一昨年2018年の年末。それが彼のいる最後の祭になりました。

あの年の年末は、初めて滝口さんと龍くんが同陣営にキャスティングされたということで、龍くん推しの古い友達とはしゃいだりなんてしていました。1部で同じ陣営に二人がいるの、見慣れなさすぎてなんか不思議な感じだったような覚えがあります。2幕の共闘シーンは、まさに私がいつか見たいと思っていたシチュエーションそのもので(初共演作のこともうっすら頭を過ぎったりした)、そのシーン以降の記憶がほぼすっ飛んでいます。2部とか何やってたんでしたっけね、あの年。シンプルに記憶力がなさすぎてパッと思い出せない。

でもさあ、まさかね。あの台詞が、次の年あんな形になって戻ってくるなんて、そんなこと思うわけないじゃないですか。

「ご報告」の文字を見て、開けた先にあった文章を、結局私は未だにちゃんと飲み込めていないみたいです。

わけもわからないまま泣いて、なんとか寝て起きたのにツイッター開いたらトップニュースに見慣れた笑顔があって、朝になってもトレンドに名前があって。彼の名前がそんな風にバズることなんて正直ぜんぜんそれまでなかったわけです。ネクストブレイクネタを毎年恒例として使っていたくらいで。色んな業界からの言葉があちこちから流れてきて、存在の大きさみたいなものを間接的に感じて、涙は止まらないのに実感自体はなく、みたいな。

そんな中で、龍くんをはじめとした国語の先生たちや、彼の周りのいつもの人たちがSNSやブログに綴る言葉だけが積み重なっていく。みんな信じられないしわかってないんだなあって、そんなことを思いながらひたすら泣いていました。ていうか今も泣きながらこれを書いてる。なんも進めてない。

ファンからのリプライを一枚一枚印刷してお別れの場に持っていってくれた王子(結局、わたしは王子に言葉を託すことすらできなかったけれど)、真っ正面からめっちゃ平野さんらしい言葉で書かれたブログ、そして熱すぎてかっこよすぎる龍くんのツイートとブログ。

本当に物語の中の出来事みたいに綺麗でまっすぐな愛ばっかり見えてきて、余計に現実味がなかった。

皆さん立場のある人達だから、オタクが少しでも悲しまないようにっていう気遣いと、その中に見える本音みたいなのが両方見えて、本当に頭も心もぐちゃぐちゃになって、わけのわからない精神状態でした。推しがこのうえないくらいに愛されていて幸せなはずなのに、でもその推しはもうこの世にはいないって、どういう状況?っていう。

そんな、彼が突然いなくなってしまった年末の祭には、一番古いオタ友達と一緒に行きました。千秋楽の日が四十九日だなんて笑っちゃうよね。なんでそんなとこだけタイミングいいんだっていう。

正直、祭には年々マンネリを感じていたりして、彼のいない祭見に行ってももう私が見たいものはそこにはないんじゃない?なんて思ったりもしたんですが、個人的にはすごくよかったです。1部も2部も。平野良、やっぱすごいんですよ。ずるい。

それから、代役の大山さん。そこに立っているのは明らかに大山さんだし、かなり癖を抑えているような気はするものの演技もちゃんと大山さんだったんだけど、でもね、あてがきなんですよ、あの台本はやっぱり。舞台の上の大山さんを見ながら、あの役を演じる滝口さんの姿や声や表情が、びっくりするくらい鮮明に浮かぶんです。大山さんもそれをわかっていただろうし、客席にいる古くからのオタクはみんな同じだったと思う。それくらい、祭の場での存在というのが当たり前に染み付いていたんですよね。

虚空を照らすスポットライトの先に、彼の姿がはっきり浮かぶということ。あの場には確かに滝口幸広がいて、あの座組に滝口幸広がいたということ。なんだか、せっかくお別れを言いに来たのに、まだいるじゃん!ってなってしまって、だめでしたね〜。いやあ、本当に憎い演出でした、あれは。

でもそのあと2部を見て、いろは坂のあまりのハチャメチャ加減に死ぬほど笑い転げているときにふと、「あ、いないんだ」と思う瞬間が急に訪れて。あのハチャメチャの中で、なんだかよくわからないネタをぶっこんで、目を泳がせながら半笑いで立ってる滝口さんがいないの、あまりにも「なんか足りない」んですよ。暴れまわるいろは坂ちゃん見て腹筋攣るくらい爆笑しながら、彼がいない事実を認識してぼろぼろ涙を流し、感情大混乱を起こすという。結局年越し終わって劇場の外に出ても涙が止まらず、友達に介抱してもらいながら空いてるカラオケ探しにいきました。

そのあと始発が動くの待ちながら、かみばなとか国語の授業とかを友達と二人で見て、思い出話なんかをぽつぽつしました。もうね、なにせ推し始めから7年とか経っていたので、延々話が出てくるんですよ。いまでもDVD棚には彼の出演作品がいっぱいあって、PC机周辺にはるひま作品のクリアファイルがポスターの代わりとして貼り付けられ、外付けHDDにはアメスタプレミアムの画面録画とかが残ってるんです。これからも捨てるつもりはありません。彼以上に好きな顔になんてそうそう出会えないでしょうし、なによりこれまでのヲタ活人生で一番長く推した人なので。

 

と、ここまで書いたあたりで力尽きて、寝て起きて仕事して、と日常に忙殺されていたんですが。まさかのお知らせに、結局また泣かされています。

いやね、るひまのことだから、きっとなにかしらの言葉はあるんじゃないかなあって思っていたんですよ。滝口さんへ何かを送るなら、お別れの日じゃなくておめでたい日だろうと。そういう感覚があそこにあったのも嬉しかったし、なにより、ほんとに全員集合なんて夢にも思わなかった。全員で読む智恵子抄なんて、もう、本当にお手上げです。さすがにこれは滝口さん自身もびっくりなんじゃないの。

智恵子抄という作品は、私の中では滝口さんという推しそのものみたいなものなんです。滝口さんという人を好きになって推すようになったのは、あのとき滝口さんが1学期、2学期で智恵子抄を読んでくれたから。

喫煙室に一人で籠って台本読んでたとか、「正直もうやりたくなかった」と弱音を吐くほどに悩んでいたのを目の当たりにしたりとか、そういう、俳優滝口幸広という人間の断片を知れた作品。決して滑舌はよくないけれど、声はひときわ凛と通っていて、本に視線を落とした伏し目が息を呑むほどに綺麗で。他にも好きな役は色々あったけれど、私にとって智恵子抄は他とは比較しようもないくらい特別な存在でした。

智恵子抄は、光太郎が、旅立った智恵子の姿を思い浮かべながら描いた作品なわけです。きっと、今回のぼくとしょ智恵子抄は、旅立ったたっきー先生の姿を思い浮かべながら語る先生たちの話でもあるのだと、そういうメッセージを受け取りました。まだ見てもいないけれど、きっと、あの頃の国語の授業を受けた人達なら同じように感じるはず。ほんとにさあ〜こういうとこがずるいんだよあのブラック企業は。

今でもはっきり思い出せるくらいに楽しくて大切な思い出をたくさんくれた先生たちにまた会えるのが本当に嬉しいです。そこにはきっと確かにたっきー先生がいて、笑っていてくれるだろうと思うので。きっと。

まだまだ寂しくて受け入れられないままだし、お祝いしなきゃと思っても笑えないようなどうしようもないオタクだけど、まだこうして心が動く限り、本当の意味で滝口さんがいなくなることはないので。

これからも、思い出すたびに泣きながら、やっぱり大好きだなあ愛しいなあって現在進行形で想うのでしょうね。なんか、滝口さんに関してこんな風に語るの、すごくしてやられた感もあって悔しいんですけど、そんなとこも滝口さんのずるいとこだよな〜!ってちょっとむかついたりして。こういう感覚を忘れないように、いろんな思い出を大切にしようと思って、今ブログを書いているというのもあります。

 

なんか、寂しくて泣いてたはずなんだけど、結局よくわかんないまま心だけちょっと温められちゃったみたいな感じで、ほんと訳わからんですね。

悲しみがなくなるわけではないけど、彼のために幸せを広げようとしてくれる人達に励まされたような気もして、苦しい泣き方はせずにすみました。

今度の授業、正直怖いけど、心から楽しみでもあります。もうほんとにすぐなんだよなあ。泣くのは我慢できそうにないので、楽しく見られるように心の準備がんばりたいと思います。

まとまらないですが、これくらいにしておきます。